対馬が対馬になったころ

いまから数万年前、地球に何度目かの氷河期が訪れました。
地球の気温は下がり、海から蒸発した水分が雪となって大陸に降り積もり、その結果、海面が約140mも沈降したと言われています。

大陸と日本本土は陸続きとなり、その陸橋を渡ってツシマヤマネコなどの大陸系の生物たちが南下してきました。
その後、気温の上昇とともに陸橋は途切れ、朝鮮半島と日本本土の間に、対馬や壱岐などの島が生まれました。

島に閉じ込められ、行き場を失った生物たちは、あるものは絶滅し、あるものは環境の変化に適応してこの島で進化を遂げ、日本列島と大陸の動植物が混生する独自の生態系が誕生しました。

やがて、中国で古代文明が発生し、日本や朝鮮半島でも国家が生まれました。
日本と大陸の間に浮かぶ対馬は、日本系と大陸系の動植物が生息する陸橋の島であると同時に、異文化を持つ人々が時には争い、時には交流する国境の島となったのです。

対馬の位置

対馬(つしま)は、九州北方に広がる玄界灘に浮かぶ島で、韓国までの最短距離は約49.5km、九州までのフェリー航路は約132kmで、条件がよければ韓国の陸影を臨むことができます。

対馬の位置

対馬は南北約82km、東西約18km、面積は約709平方km(国土地理院H16.4.1)で、日本の島では佐渡島・奄美大島に次いで第3位の面積を持っています。
東京23区の合計面積は621平方kmなので、それよりも大きいことになります。

北端の上対馬町鰐浦(かみつしままち・わにうら)から南端の厳原町豆酘(いづはらまちつつ)までは、自動車で片道3時間ほどかかり、初めての方は島の大きさと急峻な山並みに驚くようです。

島土が広く、山が険しいため、1968年(昭和43年)に対馬縦貫道が開通するまでは船が重要な移動手段でした。

浅茅湾(あそうわん)

対馬の中央部にはリアス式海岸の浅茅湾が広がっています。
リアス式海岸は、険しい山地が沈降(あるいは海面が上昇)してできる地形で、鋸の歯のような複雑な海岸線が特徴です。

浅茅湾は古来より天然の良港として知られ、現在は真珠や魚介類の養殖場として、またシーカヤック(カヌーの一種)の絶好のフィールドとして利用されています。

豊玉町の烏帽子岳(えぼしだけ)は、頂上近くまで自動車で行くことができ、山頂からは浅茅湾のパノラマが一望できる景勝地です。
(写真:浅茅湾航空写真)
対馬観光物産協会より抜粋